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hachiko28’s blog

世の中のなんか変だなや、これってどうなの?と思うことなどの記事を書いています

岩泉うれいら商店街の紹介第4弾

うれいら商店街に、何と珍しい広島風お好み焼き店

広島屋

があります。

まず、店主の経歴が異色です。店主の筒井聖美氏広島県の出身で岩泉町の隣の田野畑村に住む女性と結婚して岩泉町に住むことになった、元々は木工職人であった方です。木工職人時代は工房「空」という小物から大型のオブジェまで、何かほっとさせられるような多くの作品を作り出した作家でした。

今は、木工はお休みにしてお好み焼き店の経営に専念しておりますが、今や岩泉町の名店のひとつになっています。店内は広島の駄菓子屋さんをイメージして駄菓子の販売もしています。

店主の一言

広島県出身。広島では町内の駄菓子屋さんがお好み焼きを焼いていました。その広島で食べるのと同じ味のお好み焼きの提供を目指しています。駄菓子もありますよ。

三陸って岩手県だけだと思っている人が多いように思われますが?

特に岩手県の人々の多くは三陸っておらが岩手県の海岸のことだと思っている人が多いように感じられます。

これは大いなる誤りです。

三陸の意味は三つの陸のことです。

では、三つの陸とは何ぞや?ですが、これは、旧国名に由来しています。今の岩手県旧国名では陸中の国、青森県陸奥の国、宮城県が陸前の国でした。

ですから、三陸海岸というのはこの三つの国にまたがる海岸を意味します。

つまり、陸奥の種差海岸から陸中海岸そして陸前の牡鹿半島までの海岸を三陸海岸と呼んだわけです。

おわかりの方も多いと思われますが、あえて記載してみました。

岩泉うれいら商店街の紹介第3弾

この商店街には「てどの蔵 達人工房」があると書きました。

そこで、今回紹介するのはこの「てどの蔵 達人工房」を運営する横屋手仕事屋

を経営する工藤リセさんです。

達人工房を運営しているので、「てど扱いの達人」を自称しています。

多くの人々に地元岩泉の手仕事文化に親しんでもらうために「てどの蔵達人工房」を運営しています。「手仕事人=てど」の扱いに熟達しています。

てどたちの作品はここで買い求めることができます。

また、この隣には工藤リセさんのお母さんである

工藤トシさんが経営する

横屋茶店

があります。

お茶を飲む人が少なくなって残念。南部鉄瓶で龍泉洞の水を沸かし、急須で飲むお茶の味を皆さんに知ってほしい。急須や茶碗の焼き物の種類によってもお茶の味が違うのが面白い。血圧の効果もあるので、健康のためにお茶を飲みましょう

と話してくれました。店に行くとおいしいお茶をいれてくれますよ。

 

岩泉うれいら商店街の紹介第2弾

この商店街にホルモンのうまさに評判のお店があります。

店の名前は上あめや

店主の自称ホルモンの達人、熊谷浩さん(愛称:くまちゃん)は次のように言っています。

 

自家製ダレで味付けしたジンギスカン、ホルモン鍋、てっぽうの3種はそれぞれにマッチした最高の味を追求しました。愛称くまちゃん、口髭が目印です

私もホルモンを何度も食べましたが、新鮮で、臭みが全くなく、お客様のおもてなしにも最適です。

ぜひ一度ご賞味あれ!!

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 昨年の台風で大きな被害を受けた岩手県岩泉町にある、

うれいら商店街

には、あきんどとしての意識を忘れず、日々努力して岩泉のみならず周辺市町村からも集客する評判店などがありますので、これからしばらく、うれいら商店街について紹介していきます。

写真は商店街背後を流れる清水川です。

 

まず、この商店街には築200年の酒蔵であった建物に地元のさまざまな手作り文化を伝承する「達人工房」があり、南部地方では手先が器用でものづくりの上手な人のことを「てど」と呼ぶことに因んで「てどの蔵」とも呼ばれている建物があります。

そこで、商店街活性化の取り組みをする中で、達人工房のある商店街だから、商店街を達人商店街にしちゃえと考え「達人商店街」事業を行っています。

今日は手始めにその中の、長年にわたり独自のお菓子作りが評判になり、岩手県内の他市町村や他県からもお菓子を買いに来る評判店となっている「中松屋をご紹介します。

松屋は、

食べたお菓子が美味しかったとまた買いに来てくれる人々の笑顔に出会うのがうれしくてうれしくてお菓子づくりはやめられません。文化年間の清水川の河童伝説に関連する歴史ある店。河童の話も聞けちゃうかも?

と店主が照れながらおっしゃるお店です。

 

またまた歴史のIFを大胆推理

もし平家が源頼朝の命を助けなければ滅亡せずに済んだのだろうか?

平治の乱で、源氏は平家に敗れ、捕われた源頼朝平清盛の義母、池の禅尼の懇願により命を助けられ、後に平家を滅ぼしたという歴史の事実があります。

そのため、もし、このとき頼朝を助けずに殺害しておけば平家は滅びずに済んだのではないかということが、語られてきています。

果たしてそうでしょうか?

私は、もし、頼朝を殺していても何れは平家は滅んだのではないかと思っています。

理由は、平治の乱で勝利した平家は、それまで、朝廷を思うままに操り、栄華を恣(ほしいまま)にしてきた藤原氏にとって、平家にその立場を奪われてしまったことは許し難く、何としてでも再び栄華を取り戻したいと思っていたであろうし、平家憎しの気持ちも半端でなかったことは察せられます。

また、平家によって院政を制限された後白河法皇院政の回復を画策していたようですので、何かの機会に平家を滅ぼしたいと思っていたに違いありません。

さらに、頼朝の父義朝とその一族のいわゆる源氏の嫡流は滅びましたが、その血脈につながる一族や家臣団は関東を中心に多く残存していました。

しかも、彼らは源氏嫡流を滅ぼされた敵である平家をいつかは倒そうと臥薪嘗胆して武力を磨いていたわけですから、このような隠れ源氏と藤原氏後白河法皇との結びつきができれば、頼朝がいなくても反平家で団結して立ち上がり、その中の誰かをリーダーに担ぎ出して、いずれは平家を倒したであろうことは想像に難くありません。

特に、平家の武者たちは貴族化し武術の鍛錬を怠って数十年を過ごしていたわけですから、坂東武者の敵ではなかったはずです。

もし、義経が居なかったとしても平家の世は長続きはしなかったであろうと推測できます。

いかがおもわれますか?

 

 

歴史的に見てもロシアと中国のやり方はひどい

 

中国は元々独立国家であった現在のチベット自治区に軍隊を送り込み多くのチベット人を虐殺の上、自国の領土としてしまいました。この時、チベット政府は国連にこのことを訴えましたが、国連はそのころに発生していた朝鮮戦争への対応に追われ、この問題に介入することが出来なかったそうです。

 

また、中国はこのチベット自治区を足掛かりにして隣接するブータンの北西部にも中国人民軍を送り込み、兵庫県とほぼ同じ広さの約8000平方キロメートルのブータン領を自国の領土としてしまっています。

そして、今問題になっている海洋進出では、日本を始め、ベトナムやフィリピンとの間で東シナ海の島々を巡る争いを続けています。

 

ロシアは2014年3月にウクライナ領であったクリミア半島不凍港確保を目的に併合し、さらに現在ではヨーロッパの穀倉地帯と呼ばれ、鉄鉱石や石炭などの自然資源を豊富に保有するウクライナ東部地区の自国への取り込みを画策していることは世界中の周知の事実となっています。

過去にもロシアはそのようにして領土拡張を進めてきたわけですが、日本との関係でいうと、日露戦争後に締結されたポーツマス条約で北緯50度以南の領土を永久に日本に譲渡すると決めていながら、第二次大戦末期のどさくさに紛れて北方領土に侵攻して併合してしまいました。

 

このように、中国やロシアは軍事力を背景にして自国周辺に侵攻するという既成事実を作り、その後に一方的に併合を宣言するという、国際的良心から逸脱する行為をやってしまう言わば恥知らずな国であることは歴史が証明し、世界中がそのことを目の当たりにしてきています。

さて、こんな国を隣国に持つ我が日本は、今後どうやってこの恥知らずな国と付き合っていけばいいのでしょうか?

とはいえ、日本も過去には朝鮮併合をした国ではありますが?