hachiko28’s blog

世の中のなんか変だなや、これってどうなの?と思うことなどの記事を書いています

今注目の将棋について

藤井四段の活躍で注目の将棋についてです。別にたいした話ではありません。みなさんご存知のことですが、将棋では相手の駒を取ると、自分の駒として使うことができます。一方西洋のチェスでは、相手の駒を取っても使うことはできません。

このことからこんな東洋と西洋の思想の違いを感じ取ることができます。

中国や日本では、戦に勝利すると降参してきた相手を自軍の戦力に組み込み軍を増強します。

一方、西洋では必ずしもそうではないと思われますが、戦った相手は皆殺しにするというやり方が多かったために、将棋とチェスの取った駒の扱いに違いがあるのではないか?

と思ってみましたが、事実はどうなのでしょうか?

明治維新の戊辰戦争について

 戊辰戦争と言えば官軍である薩摩・長州軍が会津を攻めたことで有名ですが、数十年前、確か萩市から、会津若松市に対して最早過去の憎しみを乗り越えて友好を結びましょうというアプローチがあったのに対して会津若松市はつれなく拒絶したということがあったように記憶しています。未だあの恨みは忘れられないということなのだろうと思ったことを覚えています。

その後、戊辰戦争のことについて知る機会があり、会津の人々の心には到底拭い去ることのできない言い伝えがあることを知りました。

それは、会津戦争では官軍側も会津側も多くの戦死者を出しました。戦争終結後も会津領内には夥しい戦死者の遺体が累々としていたようです。勝った官軍側は味方の死者を速やかに回収し手厚く葬ったようです。

ところが会津兵の遺体を葬ることを薩長は許さず、同朋の遺体が腐乱していくのをただ遠目に眺めるより仕方がなかったということです。

死せる人間を葬ることを許さず、敗者の人間の尊厳を踏みにじる行為を強要した薩長を許すことができなかった。そして、その恨みを子孫に語り継いできたこと誰が責めることができましょうか?こんなことは薩長人は語り継いでくるはずもありませんよね。

この話には続きがあります。

会津戦争の後、幕府軍の生き残りたちは函館五稜郭に立てこもりました。

実はこの時も薩長会津でしてきたことと同じことをしたのでした。

この函館戦争においても、薩長幕府軍側の戦死者を葬ることを許可せず、遺体の腐敗がひどかったそうです。

このときは戦後函館のある寺の僧侶が遺体を収容して懇ろに葬ったそうです。

人として最低限の死者に対する思いやりがなかったことが不思議としか言いようがありません。

人として、人として、人として、人として、人として、人として、人として、人として、人として、人として、人として

さらにその後に起こった西南戦争のとき、明治政府軍の中に多くの会津出身者がおり、会津戦争の恨みを晴らしたいと、命を惜しまず西郷軍に向かっていったということが目立ったということです。

 

エネルギー保存の法則第2弾

エネルギー保存の法則第二弾

前の記事に関連して私の実体験を書きます。

数十年前東京や横浜で暮らしていた頃の話です。

仕事を含めて車で外出することが多く、結果大渋滞で有名な首都高速道路を利用しました。ご存知のように首都高は分岐や合流が多く、そうした分岐点ではどこでも渋滞していました。

そして、渋滞の果てにやっと合流できそうな場面になっても、合流は割り込ませてもらうという状況であるため、東京の人が意地が悪いというのではなく、皆渋滞でイライラしているせいもあり、なかなか合流させてもらえないのです。

そこで、ある時から試してみたことがあります。相手が合流したく、こちらが合流を許す状況が発生したら、100%確実に気持ちよくにっこり微笑んでどうぞと割り込ませてあげるようにしてみたのです。

するとあーら不思議。自分がそうしていると、何と自分が合流したい時、今度はほぼ100%の確率で快く合流させてもらえるようになるのです。

どうです?不思議でしょう?

これこそ正にエネルギー保存の法則を実体験した時でした。

私が譲ってあげたその相手が逆の状況に登場して私に譲ってくれるはずは大都市東京ではありえないことです。

例えて言うならば、ビリアードの球を1個打てば、そのエネルギーが他の球から球に伝搬していくのに似ています。

どうぞお試しあれ。

人生をうまくいかせるためのコツ

いろいろなスピリチュアル本に共通して書かれていること

人は人生の中でいろいろな人々に出会います。自分にとって好ましい人であれば何も問題ないのですが、そうばかりではありません。仕事上のいやな上司や同僚、できればそばにいてほしくない同級生など、みなさんありますよね?

でも、こうしたいやな相手を変化させることのできる技があるんだそうです。

それは、いやな相手に対して、心の中で愛を送りつづけるのだそうです。

別にそのいやな相手を愛しなさいというのではありません。

その人も実は好き好んで私に対して嫌がらせをしているのではない。その人にもいろいろ事情があって、ついつい私に対して嫌味なことを言ってしまっているのだ。心底私のことが嫌いなのではない。よくよく観察すればその人にもいいところもある。「言ってみればかわいそうな人なんだ」だったら、私のほうから一歩踏み出して、その人に対してプラスの感情を送ってみよう。と考えてみませんか?そしてそれを何回かやってみてください。

そうすると不思議です。これまでの私への接し方ががらっと変わってしまうんです。

中学でエネルギー保存の法則というのを習ったのを思い出してください。プラスの感情はエネルギーですから、他人にプラスのエネルギーを送ると、その当人からとは限りませんが、その当人を含め、全く別のほうからの場合もありますが、自分のところにプラスのエネルギーがやってくるのです。

このようにして、今では私の人間関係が大きく変貌を遂げました。

まあ、騙されたと思って試してみてください。

道路のガードレールって何から何をガードするの?

道路に設置してあるガードレールに触ってみてください。

車道と歩道の間にあるガードレールは車両から歩行者をガードするために設置されているものと考えられます。

しかし、触ってみると車道側は滑らかな曲面になっていて、車にやさしい構造になっていますが、歩道側は鉄板の角がむき出しになっていて、たとえば自転車で走行してそこに触れると切り傷を負ってしまう危険性が高く、歩行者も触れれば痛いのは言うまでもありません。

歩行者や自転車など交通弱者を守るためのガードレールであるはずなのに、この構造的欠陥は何十年も前から改善される気配がありません。

時々、円筒状のパイプでできたガードレールを見かけることがありますが、まだまだ大半は前述の形態のガードレールになっています。

どう思いますか?

都市計画用途地域の設定をもう少し住民本意にできないものか?

1992年の都市計画法建築基準法改正に当たり、北関東や山梨県の多くの市町村の用途地域見直し業務を受託実施した経験があります。

日本の都市計画の考え方の基本は、住宅地と工業施設、商業施設が混在すると住環境上思わしくないという観点から混在させずに、それぞれの施設をまとめる(これを整序と呼んだ)ことがいいのであるという思想でした。

これは、住宅地は住宅のみ、工業地帯は工場のみ、商業地域は商店のみ、農業地域は農地のみにするという考え方です。

これは確かに整然として見えるという点では理にかなっているのかもしれません。

しかし、人は、果たして住宅ばっかりの住宅地に住みたいでしょうか?

近くに買い物のできる商店も欲しいし、身近に緑を感じられたほうがいい、などそれぞれ、さまざまな好みがあります。

ところが、現行の用途地域指定は一本の線で、住宅地、工業用地、農地、緑地を区分してしまっています。

人の好みはそれぞれですから、市街地の中に業務機能や商業機能がある、都市としての快適性を望む人用の用途地域、広範囲に田園が広がる中に点在する宅地に住みたい人用の用途地域、宅地の中に樹林地を多く内在する身近に自然と触れ合える用途地域、森林地帯の中に住宅が点在する別荘地のような用途地域など、用途が混在することを楽しみたい人々向けの緩やかな用途地域などを加えることができたなら、日本人の多様な心理を満たすことができるのではないかと考えていますがいかがなものでしょうか?

ご意見をください。

久しぶりの歴史の話

戦国時代から江戸時代にかけて、有力大名や将軍の嫡子が生まれると、必ず乳母が付きました。そのため、生みの母親は、その子に自分の乳を与えることができず、いつもわが手に抱いて育てることもできませんでした。そのため、自分の手で育てることのできる第二子が生まれると、長男に掛けることのできなかった愛情も合わせて第二子に注いで育てるために段々に第二子に対する思い入れが募り、夫の跡継ぎには第二子のほうを立てたいと考えるようになり、夫に対してもそれをすすめるようになることは無理のないことといえなくもありません。

 ところがこれが往々にしてお家の大事を作り出してしまいます。それに賛同する家臣が現れたりして、家中を真っ二つに割るようなことがよくおこりました。

 その結果、そうした状況を回避するために長男は止む無く弟を殺害して自らを守らなければならなくなった例が多くあります。

 3例を挙げると

第一は織田信長が弟信行を病気を装って殺害しましたし、

第二には伊達正宗も弟小次郎を騙して誘い出し、殺害しました。

第三は徳川三代将軍家光は弟の忠長を切腹に追い込みました。

これらは、母の思いばかりでなく、家臣が企てた場合もありますが、乳母というしきたりがもたらした悲劇であると思わざるを得ません。