hachiko28’s blog

世の中のなんか変だなや、これってどうなの?と思うことなどの記事を書いています

久しぶりの歴史の話

戦国時代から江戸時代にかけて、有力大名や将軍の嫡子が生まれると、必ず乳母が付きました。そのため、生みの母親は、その子に自分の乳を与えることができず、いつもわが手に抱いて育てることもできませんでした。そのため、自分の手で育てることのできる第二子が生まれると、長男に掛けることのできなかった愛情も合わせて第二子に注いで育てるために段々に第二子に対する思い入れが募り、夫の跡継ぎには第二子のほうを立てたいと考えるようになり、夫に対してもそれをすすめるようになることは無理のないことといえなくもありません。

 ところがこれが往々にしてお家の大事を作り出してしまいます。それに賛同する家臣が現れたりして、家中を真っ二つに割るようなことがよくおこりました。

 その結果、そうした状況を回避するために長男は止む無く弟を殺害して自らを守らなければならなくなった例が多くあります。

 3例を挙げると

第一は織田信長が弟信行を病気を装って殺害しましたし、

第二には伊達正宗も弟小次郎を騙して誘い出し、殺害しました。

第三は徳川三代将軍家光は弟の忠長を切腹に追い込みました。

これらは、母の思いばかりでなく、家臣が企てた場合もありますが、乳母というしきたりがもたらした悲劇であると思わざるを得ません。