hachiko28’s blog

世の中のなんか変だなや、これってどうなの?と思うことなどの記事を書いています

源氏と平氏どちらが好きですか?

歴史の記録は勝者が残したものですから、勝った源氏に都合のよい歴史が語り継がれているわけです。

 

歴史上源氏と平氏の名前が大きく扱われた最初は保元の乱からと言えます。この時は源氏対平氏というのではなく、両氏入り混じった戦いでしたが、勝ったのは源氏の嫡流である源義朝平氏嫡流平清盛でした。

戦後義朝は命じられて敵として戦った父親の為義を殺害し、清盛も叔父の忠正を殺害しました。

次に起こった平治の乱では、基本的に源氏対平氏の戦いとなり、平清盛が、源氏の嫡流を滅ぼした戦いでした。

このとき義朝の子供である頼朝、今若(後全成)、乙若、牛若(後義経)らが捕えられましたが、心優しい平家人たちは、幼い子供を殺すことが出来ず、生かしておいたため、後に彼らによって平氏は滅ぼされるわけです。

それに比べて源氏武者は合戦で親が討たれてもその屍を踏み越えて戦うというように教育されてきており、肉親の情が薄く、親でも兄弟でも自分が脅かされそうになると平気で殺すことをやります。今の北朝鮮のようです。

そうした状況は平氏滅亡と前後してすぐに起こります。頼朝は自分の制御が利かなくなった従兄弟の木曽義仲を弟義経を派遣して攻め殺させますし、御存じのように義経を疑い、殺害する。そして、弟範頼も難癖つけて殺害しています。

このように源氏には非情さが至る所に垣間見えるのに対し、平氏は半分貴族的な部分を持った一族ですので、一族間での争いなどほとんどなく、和気あいあいとした雰囲気の穏やかな人々が多く、ほっとさせられます。しかし、平氏によって既得権力を奪われた貴族たちにとっては、許しがたい存在であり、貴族の残した日記などには平氏の悪行として記録されてしまったわけです。