hachiko28’s blog

世の中のなんか変だなや、これってどうなの?と思うことなどの記事を書いています

ブームになりつつあった100円商店街事業

山形新庄市で始まった100円商店街事業ですが、各地に広がりましたがなかなか継続できていないようです。

ポイントは、まず、100円商品から利益を出そうとしないこと

100円商品はいわば蒔き餌で、100円商品を餌にして店内へ客を誘引し、本命商品を売りつける。その工夫が「あきんど」の腕の見せ所です。

このような工夫ができる商店を作り出すことがこの事業の目的なのです。

そうしことに商店の意識を向けさせることができるか否かが主催者や企画屋の腕の見せ所。

こういうポイントに全体の意識を向けることができれば商店街としては大成功といえます。

しかし、本家の新庄でもこのポイントを徹底できていないのが残念です。

ただ、繰り返していればいいということではありません。

わかっていただけましたでしょうか?

お題「もう一度行きたい場所」

それはまだ東京で仕事をしていた頃、当時はリゾート法などという法律に日本全国が踊らされていた時代でした。

ご多分に漏れず、私が所属していた会社でもリゾートの企画をしておりました。

そんななかで、伊豆半島の急斜面にスポーツや森林体験のリゾート地を作り出す計画に携わっておりました。

その対象敷地の奥にその場所はありました。

斜面を登りきると通常は尾根に出るのですが、そこは広大に開けた窪地になっていて、樹木はほとんどなく、薄原に覆われ緩斜面に囲まれた大きなため池が窪地の中央部にでんと居座ったそれまでのうっそうとした森林とは全く異質の景観を呈しておりました。池の周囲の湿地には鹿らしき足跡が見られ、池面は秋の日差しにキラキラと輝き、美しさに我を忘れて佇み続けていました。そして我に返って最初に思ったことは、いつかここに家を建てて住みたい。毎日この景色を見ながら生活したいということでした。

結局その夢はかないませんでしたが、いつかもう一度あの場所に立ってその時の感動を再び味わいたいと時々思い出しては考えています。

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商店街に新たな集客拠点「達人工房」をつくる

 

達人工房とは一言で言うと、地域に存在するさまざまな手作り作家を集め、制作を実演しながら作品の販売を行うものです。趣味や興味でいろいろな作品を作っている作家たちは、自分の作品を見てもらいたい、共感する人には作り方を教えたい、そしてできれば買ってもらいたいと思っています。

こうした達人の集まりは、集客効果が大であることはこれまでの設置経験から明らかです。

そこで、商店街の空き店舗などを活用して達人工房を開始すると、マスコミも取材に来ますし、物珍しさも手伝って多くの人々が訪れるようになります。当初は作品の珍しさが人を呼びますが、段々に達人との会話が人々に好感をもって受け止められるようになり、一度来た人々は達人に会いたくて繰り返し訪れるようになります。つまり、人の活動が集客を生み出すのです。観光バスがやってくるほどの集客力はありませんが、開催のたびに朝から入れ替わり立ち代わり人々が訪れるようになります。

そして、達人工房に訪れた人々の多くは、帰りに他の商店にも足を向けるような波及効果をもたらします。

そのため、青森県内の某町に開設した例では達人工房に隣接する商店が工房開設以来来客が増加し、商品が売れるようになったので店舗を改装して改めて商売に力を入れてみたい。という事例も現れました。

このような、一見派手ではありませんが、工夫によって集客拠点を設置でき、そこからの波及効果を商店街にもたらすことができればある意味成功と言えるのではないでしょうか?

これから商店街の活性化について書きます

 

商店街を活性化させるのは、商店街を維持するために必要なことです。

では、なぜ商店街を維持しなければならないのでしょう。

高齢化の進展が著しい今日、車に乗って大型ショッピングセンターに通うことのできないお年寄りたちにとって、辛うじて歩いて買い物のできる商店街は命を繋ぐために必要なものです。誰もがいつかは高齢者になるわけですから、他人事とは言えません。何とかヨタヨタとでも買い物に行かないと食べ物を手に入れることができず、生命の危機に瀕することになります。

だから、商店街を存続させることが重要になるのです。

各地で商店街活性化と称するイベントが行われています。でもこれらの大部分はイベントをすることが目的で、イベントを契機として商店街にやる気を呼び起こすことにつながっていません。

つまり、商店街の中に本来の商人(あきんど)としての意識を呼び覚まされる商店主を生み出すことが重要になります。そうなればしめたもの、商店街が生き生きとしだします。

これこそが、活性化の狙いです。

今後、こうした狙いで実施してきた商店街活性化のための企画について順次披露していきます。

どうぞお楽しみに。

難易度が高い低いっておかしくないですか?

難易度が高いというのはより難しいことを意味し、難易度が低いというのは容易であることを意味するように使われています。

しかし、○○度が高いとか、低いというのは、温度、湿度、緯度など、一定の方向性と度合いを有するものについて、それぞれ高い・低いという言い方をするものに使う言葉です。

ところが、難易度は、高い、低いではなく、難であるか易であるかの度合いを表すもので、難しさの度合いを表現する場合は難度が高いとか低いと言うべきであります。しかし、難度という言葉はあるものの、易度という言葉が無く、そのため、便宜上難易度という言葉ができ、難度が高いものは、「より困難である」とか「極めて難しい」などと表現し、易度については「た易い」とか「容易である」という表現をしてきました。

ですから、難易度が高いという言葉は難度が高いのか、易度が高いのかわからないことになります。

ベトナム戦争で、韓国兵士向け慰安婦が居た

韓国で第二次大戦中の日本軍の従軍慰安婦の問題がクローズアップされ、大使館や領事館前に慰安婦像を設置するという動きがあることを報道などにより知らされています。

しかし、慰安婦が居たのは、朝鮮半島における日本軍ばかりでなかった事実が明らかになって来ています。

それは、なんとベトナム戦争に参戦していた韓国軍兵士が時の大統領であった朴正煕の指示の元韓国人女性による慰安部隊をつくり、従軍させていたという驚愕の事実であります。

このことは村山康文氏の取材によって明らかになって来ていますし、アメリカも1960年代にその事実を把握していたということが公文書で明らかとなっています。

慰安部隊は後に韓国人女性のみならず、現地のベトナム人女性も駆り出して維持されていたというのです。

韓国人はこの事実を知っているのでしょうか?

日本軍の慰安婦であった女性が未だ生存して日本批判をしているわけですが、1975年に終結したベトナム戦争に駆り出された韓国人女性の慰安婦はまだ60~70代のはずで、多く生存しているはずで、彼女らは日本軍の従軍慰安婦の問題をどう思っているのでしょうか?何ら声を上げている風が無いのが不思議でなりません。あるいは国から十分な補償がなされ、口を封じられているのかもしれません。慰安婦をさせられたベトナム人女性の幾人かは村山氏の取材に対して重い口を開いているようです。

いずれにしても、自分たちがしたことには蓋をして、他人を責めるということが行われているという事実を知り、この情報をもっと韓国国民に知らせることができれば、昨今の批判をかわすこともできようというものです。

子どもの野菜嫌いをなくすためにはどうすればいいのでしょうか?

 

子どもの頭脳はスポンジのように何でも体験して吸収するようにできていることを今更もっともらしく述べるまでもありません。

家庭の中で育つ子供たちの食べ物の好き嫌いは実は親の好き嫌いに影響されているものです。

野菜嫌いの子供になるのは親が野菜嫌いであまり野菜を食べなかったり、嫌いな野菜を除ける様子を子供が見て育ったからというのが大きな原因であると言えます。

 

では、どうすれば野菜嫌いを克服できるようになるのでしょうか?

ヒントは冒頭に述べた子供の脳が体験を吸収しやすいという点にあります。

だから、学校や自宅において親子一緒に野菜を栽培してみましょう。少しづつ、好きな野菜も嫌いな野菜も混ぜて栽培しましょう。

そして、日々の水やりや、雑草取りなどもなるべく自分でさせるようにしましょう。

そうして栽培した、自分が丹精込めて育てた野菜であれば、子供たちは嫌いな野菜でも食べてみたいと思うようになります。毎朝眠いのを早起きして水やりをして、日々成育をながめ、夏の暑い日差しの中で汗を流しながら雑草取りをした野菜であれば、嫌いな野菜でも愛情が湧き、食べてみたいと思うに違いありません。

そして、親も一緒に栽培に参加して、一緒に野菜を味わうことが出来れば、親子の愛情が育まれるであろうし、親子で嫌いな野菜を克服するきっかけとなることも期待大です。

どうぞやってみてください。